選択出版湯浅正巳と私

『FACTA阿部重夫が選択出版飯塚オーナーの弔辞を読んだ理由』

~「日本経済新聞(上)(中)(下)」の捏造記事に飯塚オーナーが激怒

湯浅正巳との付き合いは、もう何年になるのだろうか?本当に長い年月を二人で歩いてきたと思う。「貴方は、今日の選択出版を作り上げた最大の功労者です」湯浅正巳から送られた感謝の言葉を有り難く受取らせて頂く。
そして、お互いの苦労話やこれまで湯浅正巳から依頼された様々な案件や、二人して遊んだひとつひとつを思い出しながら、「任侠の思い出話」として連載をする事にした

年末恒例の事務所の片付けを皆でしていたところ、湯浅から預かった大きな封筒が出て来た。その封筒の表には湯浅の特徴ある字で「笠岡和雄様」と書かれている。
この封筒、飯塚氏が亡くなる直前にいつものように「レ・シュー」で受け取った。
「飯塚が亡くなるのも時間の問題なので、この封筒を会長にお預けします」と言うような話だったとぼんやり記憶している。
飯塚氏が亡くなったのはいつだったか?2003年だったと記憶しているから、随分と長い事忘れた存在だった。

開けてみると、数十枚の便箋や書類がびっしり入っていた。
「選択出版の株式名簿」「選択エージェンシーの株主名簿」「大日本印刷との二重取引」「ジャーナリストビューロー銀行口座(秘密)」「三和銀行大阪支店通帳」などが入っていた。湯浅が飯塚に隠し持っていた資料の束なのだろうと思うわ。
同封された経理資料にも億単位の数字が書かれているが、皆、(秘密)の文字が有る事を考えると、湯浅が一人で内緒にしていた資料なんだろうな。
三和銀行の某支店の預金通帳には1億2000万円の残高が残っているが、この預金、山下がきちんと引き落としているのかな?人の金だが、心配になるわ。
飯塚の葬儀の際、湯浅は葬儀の参列を嫌がり、自らが救急車を呼んで慈恵医大病院に緊急入院をした。

その連絡を選択エージェンシーの尾嶋社長から受けた私(ワシ)は急いで慈恵医大の湯浅の個室に向かったな。それは、怒鳴り付けるためだった。
湯浅がジャーナリストとして認められる存在となったのは、飯塚の下にいたからだ。
湯浅から見れば、飯塚や「選択」は自身を世に出してくれた大恩人だ。
誰が何と言おうと、飯塚無くして湯浅は存在しなかった。太陽の如く輝く飯塚の放つ光が作る影が湯浅の生きる場所だった。

その大恩人の葬儀に仮病を使って、こそこそ隠れている事に腹が立ったんや。
真っ当な経済人は湯浅の「出自」から生じていた匂いを鋭く感じとっていたものだ。
飯塚や湯浅が尾嶋を大事にしていたのは、湯浅の独特の匂いを隠す事が上手かった事も一つにあったのではないかな。もう二人に聞く事も出来ないけどな。

病室に入るなり湯浅に怒鳴り付けた。
「おい、こら!何しとんねん!大恩人の葬儀に行かんかったら、あんたとは一切の縁を切るぞ!」
湯浅は必死で弁解をしていた。滑稽なほど必死で弁解していたな。
「飯塚が死んだ報告を受け、気分が一気に悪くなって、立てないんです。仮病ではないんです!」
この時の真相も後で分かった事だが、尾嶋へ「飯塚の葬儀には出ない」との連絡があったが、さすがの尾嶋も「はい、そうですか」とは言えなかったようで、「急病による欠席と言う理由しかないでしょう。湯浅さんご自身で救急車を呼んで下さい」と尾嶋は逃げたそうだ。尾嶋にしても飯塚の葬儀に出ない湯浅に手を貸す事は出来なかったんだろうな。

そう言えば、選択エージェンシー尾嶋が選択出版を題材にした小説を書いているそうだ。私(ワシ)のところへ取材に来ている某大手出版社の記者から「幻冬舎あたりから来年出す言う話が出回っています」と聞いた。
それはそれは面白いネタが満載だろうな。

選択出版は本当に内部による揉め事が多い会社だな。
飯塚の通夜で湯浅が読むべき弔辞を誰が代読するかで大揉めしていたな。湯浅を怒鳴った後、湯浅の部屋にいたのだが、飯塚未亡人から連絡が入った。
「湯浅さんの弔辞を尾嶋さんに代読して欲しいとお願いをしましたが、阿部さんが、断固反対すると言われました。理由は、尾嶋が読む事になると、飯塚の後継者が尾嶋だと見られてしまう」と言う話だった。
飯塚未亡人が弔辞は尾嶋にと言うのは、尾嶋と阿部の二人では飯塚と付き合った年月が違うと言う単純な理由だった。
この時、飯塚や湯浅は「飯塚後は尾嶋」と決めていたが、そんなに急に飯塚が亡くなるとは考えてもいなかったので、阿部重夫には伝えていなかったんだな。
湯浅は飯塚未亡人に「そんなに弔辞が読みたいなら、読みたい男に読ませれば良い」と言っていたな。
東京大学出の阿部は自分が飯塚の後継者になるものだと過信していたのかな。
盛大な通夜の席で、尾嶋に弔電を読まれる事になれば、「飯塚の後は自分」と言い触らしていた手前、どうしても阻止しなければならなかったのだろうな。
「小さな男はプライドだけは人一倍」と言う典型的な話だな。
しかし、飯塚未亡人も簡単に「はい、そうですか」とはならなかったようで、弔辞を読む人間が決まったのは、葬儀の昼頃だと聞いた。
阿部重夫の執念は、これも「出自」によるものか?

この一件で、阿部重夫は自分が後継者ではない事を知り、後日、湯浅に食って掛かったそうだ。本来であれば、選択出版の後継者は阿部重夫だった。「次は阿部ちゃん」といつも湯浅から聞いていたから間違いない。
しかし、ある事件が阿部重夫を後継の座から引き吊り下した。阿部重夫の自業自得だろうな。

ある事件とは「日本経済新聞上・中・下」の記事掲載だった。
「選択」に三号連続で古巣である日本経済新聞の当時の鶴田社長のスキャンダル記事が掲載された。
<br>「選択に聖域なし」と言う方針を掲げ、どんな記事でも真正面から書く姿勢が評価を受けていたが、さすがの飯塚と湯浅も、阿部重夫自身の私憤に選択の誌面が利用されたと激怒した。

選択の主たる執筆者は大手マスコミの幹部達だった。先般の漏れた「アドバイス料」の面々も大手マスコミの幹部ばかりだ。
当然ながら飯塚も湯浅も日本経済新聞のトップとは昵懇だったはずだ。
湯浅は、こんな事を言っていたな。
「阿部ちゃんは日本経済新聞の幹部達に深い恨みがあった。東大出の自分が低い評価だった事をいつも恨んでいた。閑職に追いやられた事に腹を立てて退社したが、その左遷人事に対する怨念をあの記事でぶちまけた。阿部が退社した後、日本経済新聞から名誉棄損訴訟が起こされたが、記事の多くの部分が推測記事だったので何の反論も出来なかったので、敗訴だけは避けるために和解に持ち込むしか方法がなかった。選択の誌面が汚れてしまった。阿部を許す事は出来ない」
捏造は小保方氏だけの専売特許ではなく、昔からあるようだな。
あの記事で大手マスコミの幹部達は選択出版や阿部重夫の持つ妙な考え方に恐れをなし、距離を置き始めた。
今、選択の持つ怖さや凋落はこの時に始まったに違いない。気の毒な話やな。

閑話休題。

この葬儀に関してこんな話があったな。
任侠の世界でもあまり聞かない話やが、さすがに知恵のある湯浅らしい話だ。
今後、政界や財界で参考になる話でもあるな。
湯浅は飯塚が順天堂に入院中、「飯塚の葬儀は社葬にするので心配なく」と飯塚夫人に伝えていた。
「やはり、何だかんだと言いながら、湯浅さんは飯塚の事を大事に思ってくれていたんだ……」
飯塚夫人は社葬の提案を嬉し涙と共に受けた。
術後、飯塚の意識が戻らず、医師から死を覚悟するようにと伝えられた時、ある人物から「社葬」の真相を知り、飯塚夫人は再び涙し激怒したと言う。
「社葬」の意味は、選択出版葬であれば、香典は会社のものになる……と言うのがその理由だった。
この考え方一つで、湯浅の恐ろしさが分かるな。
今年、某大手出版社の記者から、湯浅が亡くなった後の写真のようなものを見せてもらったが、孤独な男の最後はやはり悲しいもんなんだな。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です